充実した人生に唯一必要なもの【森博嗣】連載「日常のフローチャート」第35回[最終回]
森博嗣 新連載エッセィ「日常のフローチャート Daily Flowchart」連載第35回
【家族とのつき合いで社会を知る】
僕の場合、仕事は社会から隔絶した環境だった。研究者も作家も個人的な活動なので、あまり他者を気にする必要がない。他者の機嫌を窺ったり、周囲が自分をどう思っているかを気遣ったりしないでも良い。ただ、大学生だけは例外で、お客様なので親切を心がけた。
こういう捻くれた人間だから、社会というものは、主に家庭で学んだといえる。特に、奥様(あえて敬称)とのつき合いが、最も勉強になった。彼女と接する過程で学び、反省し、自分を変えるように努めた。まあ、それでこんなに丸くなった(この程度にしか丸くならなかった)のである。
奥様の方も、僕とつき合って学習した様子である。たとえば、僕が指導的な意見を述べても、微笑みながら聞き流す。聞いているようで全然頭に入れていない。若い頃の彼女だったら、人から指図されるのが大嫌いで、かちんときたはずだ。今では、滅多に怒らない。人間ができている。新書で、「聞き流す力」を執筆できるほどだ。
先日、丸いケーキを5人で食べる機会があり、包丁を彼女が手に持ち、人数を確認してからケーキを切ろうとした。僕は、「直径を切ったら駄目だよ」とアドバイスしたが、彼女は頷きながらケーキをまず半分にした。そのあと、えっと、と考えて、どうすれば5等分できるか、と考えたようだった。世間の多くの人は、このように、ちょっとなにかしてから考える傾向がある。ちょっと考えてからなにかするようにしてほしい。
文:森博嗣
<告知>
✳︎森博嗣先生の連載エッセィ「日常のフローチャート Daily Flowchart」は、第35回が最終回となります。読者の皆様には大変ご好評いただきまして誠にありがとうございました。本連載は、今年4月に書籍化され発売予定でございます。書き下ろしの未発表原稿(第36〜40回)を書籍に収録いたします。どうぞお楽しみに!
✳︎「日常のフローチャート Daily Flowchart」の連載バックナンバは3月31日までご覧になれます。
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★森博嗣先生のBEST T!MES連載「静かに生きて考える」が書籍化され、2024年1月17日に発売決定。第1回〜第35回までの原稿(2022.4〜2023.9配信、現在非公開)に、新たに第36回〜第40回の非公開原稿が入っています。
世の中はますます騒々しく、人々はいっそう浮き足立ってきた・・・そんなやかましい時代を、静かに生きるにはどうすればいいのか? 人生を幸せに生きるとはどういうことか?
森博嗣先生が自身の日常を観察し、思索しつづけた極上のエッセィ。「書くこと・作ること・生きること」の本質を綴り、不可解な時代を見極める智恵を指南。他者と競わず戦わず、孤独と自由を楽しむヒントに溢れた書です。
〈無駄だ、贅沢だ、というのなら、生きていること自体が無駄で贅沢な状況といえるだろう。人間は何故生きているのか、と問われれば、僕は「生きるのが趣味です」と答えるのが適切だと考えている。趣味は無駄で贅沢なものなのだから、辻褄が合っている。〉(第5回「五月が一番夏らしい季節」より)。